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2007年04月30日

【Travel&Photos】南九州春うらら(3)別府温泉編

宇佐駅から特急ソニックにて、別府まで。
ひとっとびでござ。

[ワニ?なぜワニ?in Beppu]

さて、

別府に降り立って、すぐさま気がつきました。
相当の観光地だと。インドかと。

荷物もってタクシー乗り場あたりうろうろしてたら、
「にいちゃん、観光しない?1日1万4千円だけど。」
などと、タクシー運転手が寄ってくる。

「いやー、もう貧乏旅行で~。」

などと言ってはぐらかすが、向こうも商売。
明日の旅賃なんざ、気にもしてくれない。
日本各地旅しても、こんなに勧誘されたのは
始めてだ。やるな、九州。

なんとかホテルに荷物を預けて、別府名物地獄めぐりへ。

[海地獄~]

[泥坊主地獄~]

[血の池地獄~]

地獄めぐりは自然の驚異を感じる意味で
すごく楽しかったのだが。

しかし、なぜにワニ、アフリカゾウ、オニバス???
などと疑問は感じないことにする。

[ハス]

※我ながらよいショットだ。

別府温泉は、同じ別府市内に源泉の違う温泉街が
あって、どこもいろいろ特色があるみたいだ。

おいらが泊まったのは海側の北浜のほうだったけど
地獄めぐりのある鉄輪(かんなわ)温泉のほうもいいみたい。

でもって夜は、全身のコリを取ろうと整体を受けたが、
これが普通のマッサージより超利く感じ。

おいら「おいらの体のコリは10段階でいうとどんなもんすか。
(イテッ、イテテテテッ(ツボにはまっている))

先生「8、9、・・・、10くらいすかね。こりゃー、
いつかぽきっといきますぜ。旦那。(うりゃー。)」

おいら「むむむむむ。(イテッ)。どうすればいいすか?。」

先生「毎日足湯してください。それからラジオ体操を毎日。」

(ラ、ラジオ体操すか?)

腰のほうのコリはこれで取れたんですが、肩、首筋は
複合的要因(メガネがあっていない、パソコンしすぎ等など)
らしくとれなかったとのことです。

でも、整体はいいっす。一気に楽になった。
(というか、これまでそうとう溜め込んでたのね・・・。)

というわけで、今宵はぐっすりお休みさん。

明日は火の国熊本よ。


それ以来、足湯とラジオ体操は欠かさずやっておりまする。

2007年04月22日

【Travel&Photos】南九州春うらら(2)宇佐神宮編

大分空港に降り立って向かった先は、宇佐神宮である。
空港から高速バスで約1時間ほど。

国東半島の真ん中を通って北上していくのだが、
ところどころに点在する美しい集落と見ごろの桜に
心打たれる。

さて、

我が家の氏神様が八幡様ということもあり、
八幡様顕現の地を写真に収めてこい、という仕事の
依頼があったことも事実ではあるが、宇佐神宮は
何としてでもいっておきたい神社ではあった。

神社は中心となる祭神により、いくつかの
グループに分かれる。

お稲荷さんで有名な稲荷神社(伏見稲荷など)、
菅原道真公の天満宮(北野天満宮、湯島天神など)
あたりがグループとして有名どころである。

八幡様も例にもれず、全国有数のグループであり
地図をぱっと見ても、ちょいちょい存在している。

有名なのは、京都の石清水八幡宮や、鎌倉の
鶴岡八幡宮、福岡の筥崎宮など。

これらの総本山が、まあ宇佐神宮というわけだ。
なぜならば、ここが発祥の地であるから。

(今ウィキペディアを調べてますが、関東地方に
圧倒的に多い。これは関東を基盤とした源氏が
八幡様を氏神として信仰したためと思われる。)

祭神は、応神天皇、比売大神、神功皇后。
境内は上宮と下宮に分かれ、それぞれに3柱祭られている。

[上宮]

[下宮]

上宮からは、奥宮が望める。
通称宇佐嶋。宇佐神宮発祥の聖地、とのこと。

[上宮から望む]

平日ということもあって、境内は
人も少なく、清らかで静かな時間が流れていた。

[境内]

[境内2]

というところで、次の目的地別府に向かう。

なお、バスでは大分空港から宇佐八幡バス停下車で
すぐ来られるけど、電車の場合最寄の宇佐駅からは
離れていることと、電車の本数も少ないので注意。

[また来ますね]

宇佐神宮ホームページ
いやはや世の中便利ですな。

2007年04月21日

【Travel&Photos】南九州春うらら(1)出発編

4/9から、南九州への旅。
前から行きたかった、
宇佐神宮、別府、阿蘇、熊本、指宿、知覧、鹿児島を
もれなくまわりました。

今回は、ついに一眼レフも登場し、
いい感じの写真がたくさんとれましたです、はい。

[知覧の武家屋敷]

EOS Kissのほうは、ファイルサイズが大きくていけねえ。
なので、IXYの写真メインで。

2007年04月17日

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(6)ブダペスト編

4日目 ブダペスト 晴

今回の旅は、とにかく晴れていてありがたい。
成田を発つころはどうなるかと・・・。

さて、いよいよ最終目的地ハンガリー共和国の首都
ブダペストでござ。

[ブダの王宮とくさり橋]

くわしくはwikipediaで

さて、

ウィーンからバスで移動だったが、
イースター休暇ということで、ものすごく
国境超えに時間がかかった。むぅ。

というわけで、観光もショートカット気味(爆)

まずブダの王宮でござ。
ウィーンやプラハとうってかわって、
エキゾチックな雰囲気に変わってくる。

[ブダの王宮]

[王宮からドナウをのぞむ]

ハンガリーは、もともとアジアからやってきた
マジャール人が建国した国だが、オスマン・トルコ
に占領されたり、ハプスブルグ帝国の領土になったりで、
複雑な歴史をたどっている。そのためか、街は
中世ヨーロッパと中近東アジアの雰囲気をごっちゃにした
感じの街となっている。

あと、気がついたのは民族意識の高さかな。
これだけの国旗が整然とならんだ王宮はほかの
首都にはない。

熱い。

[王宮に続く国旗の列]

でもって、てくてく歩いて、
聖マーチャーシュ教会へ。工事中。

歴代の王の戴冠式が行われました。
(でも、ブダがトルコ側にあったときは、
スロヴァキアの首都ブラチスラヴァにある
聖マルティン教会がこれに変わりました。)

[聖マーチャーシュ教会]

そこから、漁夫の砦に向かうと、
ハンガリー建国の父、聖イシュトヴァーン王の
銅像が目に飛び込んできます。
いやはや勇ましいですな。

[聖イシュトヴァーン]

でもって、漁夫の砦。メルヘンチック。

[漁夫の砦]

[漁夫の砦より国会議事堂]

漁夫の砦から坂を下ってくる。

[漁夫の砦2]

それから、市内を移動し、聖イシュトヴァーン
大聖堂へ。

1851年から1905年まで苦節54年
かけて作られたそうです。

[聖イシュトヴァーン大聖堂]

[美しきステンドグラス]

で、最後は英雄広場。
ハンガリー建国1000年祭を祈念して
作られた広場。

塔の上には天使ガブリエル。
聖イシュトヴァーンに王冠を授けた天使さん。

[英雄広場]

イースター休暇のおかげで結構おしまくりの
ハンガリーでした。

しかし冒頭の王宮とくさり橋の夜景に癒され
旅は終わりました。

ブダペスト、ウィーンやプラハと比べて
結構広いので、やはり本格的に回るには
2、3日は要りそうである。

次回の課題であるな。

2007年04月13日

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(5)ウィーン編

3日目 ウィーン 晴

さて、ハプスブルグ帝国の都、そして
音楽の都ウィーンへ。

正直に言っちゃいますが、
チェコ側から入ってくると、戦後の東西冷戦が
分けた文化、風土、文明の違いが歴然と感じられて
なかなか感慨深いものでありますな。
明日再びハンガリーに行くわけであるからして。

さて・・・

最初はベルベデーレ宮殿。
フランス出身の貴族であるオイゲン公が
立てさせた夏の離宮。

彼はフランスで当時のルイ14世に使えて
軍人を志したが用いられず、オーストリアに
やってきて、軍人となった人。

当時の強敵であるオスマン・トルコとの
戦いにおいて功多く、絶大なる影響力をもっていた。

だから、こんな宮殿を建てられるのね。

宮殿の屋根は軍人らしくトルコとの戦いで
用いた兵舎の屋根をもとにデザインされたらしい。

朝だったので、ほかの観光客も少なく、
よかったでござ。

[水面に映るベルベデーレ宮殿]

水面に宮殿が映って美しいですな。

くわしくはwikipediaで

それから、ウィーンの目玉である
シェーンブルン宮殿へ。

ルイ14世のベルサイユ宮殿に負けない
宮殿を、ということで造られた宮殿。

内部は予約制。

[シェーンブルン宮殿]

※写真がいまいちなのですが、これだけ
横広な宮殿なのであります。

くわしくはwikipediaで

それから、美術史美術館へ。

ベラスケス、ブリューゲル、レンブラントなど。

ウィーンのガイドさんがすばらしい人で、
その説明を聞いて面白かった。

これまでの「見たいものを見る」方式では
限界があるということに気づきました。

解説がないとパンピーにはわからんです。はい。

[美術史美術館]

くわしくはwikipediaで

対面に、同じ形の建物である自然史博物館もある。
こちらはマリア・テレジア像と一緒に。

[自然史博物館]

その後、聖シュテファン大聖堂へ。
はい、これも天高く伸びようとするゴシック様式。

[聖シュテファン大聖堂]

[教会内部]

※暗いところでとると、結構手ぶれが
発生した。今後の課題だ。

くわしくはwikipediaで

でもって、カプチーノ教会。
ここにハプスブルグ帝国歴代の皇帝が眠る。

ちなみに、ハプスブルグ帝国の皇帝が崩御
すると、心臓とその他の内蔵、体の3つに
分けられて、それぞれ別の場所で保管された。

心臓とその他の内蔵は、それぞれアルコール付け
されているから、入ったつぼを振ると
たぷんたぷんというそうだ。(不敬罪だな。)

今回は、体の入った棺だけ。

うーん、お墓はぱしゃぱしゃ写真とってきたけど、
やっぱ載せられないや。

なお、マリア・テレジアはその夫と同じ
大きくて秀麗な棺に納められていました。

小腹がすいたので、オペラ座裏で名物
「ザッハトルテ」にて。
ちょっと甘いくらいですが、おいしいす。

[ザッハトルテ]

でもって、夜はオランジュリー(シェーンブルン宮殿)
でクラシックコンサートを聴いて、ウィナーシュニッケルを
いただいて、終わり。

明日はいよいよ最終地、ブダペストでござ。

2007年04月08日

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(4)ブラチスラヴァ編

2日目 プラハ⇒ブラチスラヴァ 晴

朝早くプラハを発って陸路スロバキアの
首都ブラチスラヴァへ。

結構距離がありましたです。
300キロくらい。

[美しく青きドナウ]

さて、

ブラチスラヴァはドナウ川のふもとの町。

かつてオスマン・トルコにブダペストを
落とされたハンガリー王国が、
ここに首都をおいたこともある。

くわしくはwikipediaで

お昼をとって、マリア・テレジアが
居城にもしたというブラチスラヴァ城へ。
引っ繰り返したテーブルと呼ばれる。

[ブラチスラヴァ城]

ブラチスラヴァ城内は博物館。
古代から今までこのあたりから出土したものが
展示されています。

写真撮影はできたけど、接写はなかなか
難しいので公開しません。

よく晴れていて見晴らしもよく、写真を
とるには最適かと。

[美しく青きドナウと春の空]

[外灯と尖塔]

それから旧市街へ向かいます。

旧市街へは、かつての入口だった門の一つ
であるミハエル門から入ります。

昔は4つの門があって、2キロの城壁が
旧市街を取り囲んでいたが、街が発展するに
つれて城壁を取り壊し、門もこのミハエル門を
残してすべて取り払ったということである。

[ミハエル門]

※ちなみに、ミハエル門は外側からだと
あまりいい構図がないように思いました。
これは旧市街から振り返って撮ったものです。

[旧市街]

ミハエル門から大分離れましたな。

[旧市街からブラチスラヴァ城]

しばらく進んでいくと、マリア=テレジアを
含めて、ハンガリー国王の戴冠式が行われた
こともある聖マルティン大聖堂に着く。

王冠がしばらくここに置かれていたらしい。
今はブダペストの国会にあるみたいだが。

[聖マルティン大聖堂]

[聖マルティン大聖堂からブラチスラヴァ城]

※こんな構図もあり?

そしてフラヴネー広場に出る。
イースターが日曜日に控えていることもあって、
市場などでにぎわっている。

[にぎわう広場]

そして、これが旧市役所庁舎。

[旧市役所庁舎]

ブラチスラヴァには、街のいくつかに銅像が
おいてあります。

これはそのうちひとつの銅像の視線から撮った
もの。どこでしょう?

[見つめる人]

※銅像そのものを撮り損ねた。てへっ。

というわけで、ブラチスラヴァ。
1993年に分離して以来、スロヴァキアの
首都でございますが、結構ひっそり落ち着いて、
ぼーっと滞在するにはいい街かと。

ウィーンから近いですしね。
今回は半日でしたが、1~2日は欲しい
ところでありますな。

それから、ウィーン入り。就寝。

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(3)プラハ後編

午後はプラハの南西郊外1時間くらいの
ところにあるカレルシュタイン城へ。
[カレルシュタイン城]

さて・・・

なんとチェコには100以上の城がある。
貴族が所有していたものだが、戦後の
社会主義政権下では、国に没収された。

しかし国も没収したのはいいが、
用途に困ったあげくほったらかされていたらしい。

ビロード革命のあと、元の所有者に返還されたが、
所有者は所有者で、持て余したようで
たいていは市に寄付するなどして博物館化し、
保存を図っているようである。

社会主義って生産手段を公に帰すものだとしたら、
観光資源としての城は外貨などを獲得する手段とは

ならなかったのかと。

とはいえ、カレルシュタイン城は中世の
往時そのままに外観をとどめている。

内装は長い年月の間に相当痛んでいたようだ。
このあたり雪深い冬季に改修を進めているようだ。
(当然4月からの3シーズンしかここには
来られないのでご注意!)

[カレルシュタイン城2]

それはさておき、カレルシュタイン城であるが、
カレル4世が神聖ローマ帝国の王権の象徴である
王冠を保管するために突貫工事で建造したもの。

なぜなら王冠を奪われると王権がなくなるからである。
このあたり、日本の平家物語や南北朝時代の
三種の神器を巡る争いを思い出させる。

王権は神より与えられるものであるから、

教会になっている。
そしてその宝物を守るために防御が固められる。
石造りの壁も破られないように5mの厚さがある。

さらに人里離れた場所にあって、
近くまできても丘を上がって行かないと
回りから見えない作りになっている。

[守るにはちょうどよい?]

[しかし攻めるとなると厄介だ]

王冠を守ることが絶対なので、
行事のたびに王はここにやってきた。
王冠を運ぶより王が動いた方が安全だったからだ。

[遠景]

カレルシュタイン城はしかし、
プラハ城の完成により王冠が移されるに及んで、
ずっと放置されることとなった。
最近になってその価値が歴史的に見直され修復が行われている。


wikiに情報でてないようですな。

夜はプラハに戻って1499年創業というビアホールで。
おいらの大好きな黒ビールをいただく。
さすが本場で、コクがあって甘みのある黒ビール最高。
ちなみに昼はピルスナーをいただいた。

ピルスナーもあのバドワイザーもチェコ発祥なんだって。

へぇ。

[ビールで乾杯]

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(2)プラハ前編

初日 晴 プラハ

午前中はプラハの旧市街を歩いて観光。

[プラハ城より望む]

さて、

プラハはチェコ共和国の首都。ウィーン、
ブダペストと並ぶハプスブルグ帝国の都市のひとつ。

ただし、ほかの2都市はドナウ川沿いなのだが、
プラハはモルダウ川のふもと。

黒海に注ぐドナウに対して、モルダウは
ドイツにはいってエルベ川になり北海に注ぐ。

よってハプスブルグ帝国の旧版図である
このあたりが中部ヨーロッパの分水嶺である。

さて、まずプラハ城。
チェコがまだボヘミア王国と呼ばれていたころ、
歴代の王の居城。最盛期の国王カレル4世の時代に
全容が完成した。モルダウ川のほとりの丘に建つ。

[プラハ城入口]

正門から入場。
さっそく中世な雰囲気がただよってくる。

さらに進んで行くと、広場と大統領官邸がある。
大統領旗が掲げられていた。

朝早くからお疲れさまでございます。

[プラハ城広場]

くわしくはwikipediaで

大統領官邸の並びに聖ヴィート教会がある。
ゴシック様式の壮麗な建物。

今回の旅で知ったのだがゴシックというのは
天へ天へ伸びようとすることを表すように、
高い尖塔を有するものらしい。

・・・、高すぎて写真が取れませぬ。

[プラハ城内の聖ヴィート大聖堂]

くわしくはwikipediaで

ちなみに、聖ヴィート教会には、ボヘミアの
初代国王であり守り本尊である聖ヴァーツラフの
礼拝堂もある。

大変恐れ多くも、内部はこんな感じ。
ステンドグラスが素敵でございます。

[聖ヴィート教会]

それから同じ並びにある王宮内も見学可能。
といっても、何もないや。今は勲章授与とか
大統領の就任式に使われているらしい。

天井はアーチ型をしている。
高い建物の負荷を分散させるために編み出された
ゴシック様式の典型例ということらしい。

[王宮内]

さて、王宮を離れてしばらく歩くと、
かつて錬金術師が住んだという黄金小路に出ます。
かのカフカが住んでいた家もある。
中はほぼ武器博物館やらお店やら。

[黄金小路]

それから王宮の丘を降りて行きます。
プラハ市内が一望できる撮影ポイントでもある。

[プラハ市内はこんな感じに見える]

[坂道はこんな感じに見える]

モルダウ川のほとりを歩いてカレル橋へ。
これもカレル4世の命による建造物。

[プラハ城とカレル橋]

くわしくはwikipediaで

カレル橋から見るといいポイントがたくさんありまする。
行かれる方々はぜひ撮影を。

雲の間から、光が洩れてきていますな。

[カレル橋から見る風景]

カレル橋には聖者の像がたくさんあります。
たとえば、聖ヤン・ネポムツキー像。
この像に触れますと、願いが叶うということで。

「あー、どうか持ち帰る貴腐ワインが割れませんように」

[聖ヤン・ネポムツキー像]

カレル橋から歩いて、旧市街広場へ進む。
旧市街広場のそばに旧市庁舎があって、
からくり時計がきれいです。

毎時、骸骨が鐘を鳴らすと、外の人形が首を振って、

いやいや、

する。

ユーモラス。そのうえにキリストの
12使徒がひとりひとり現れて回って行く。

[旧市庁舎とからくり時計]

※写真がいまいちだ・・・。

それからティーン教会。

[広場とティーン教会]

お昼は名物クネドーリキとシチューで。

後半へ続く。

【Travel&photos】ハプスブルグ帝国へ(1) 出国編

4月2日出発

ずっと行きたかったオーストリア・ハンガリー帝国の
古都めぐり。

プラハ、ブラチスラバ、ウィーン、ブダペストへ。

さて・・・

成田からスイス航空にてチューリッヒ経由でプラハ入り。
大阪出張だって新幹線なおいらが12時間も乗っていましたよ。
飛行機に。

[翼よあれがシベリアだ]


さて、途中トランジットで寄ったスイス。
飛行機から眺めるだけだったけどイイ!北海道みたい。(逆か)

そしてプラハ入りなのだが、夕刻入りだったため、
あんまり見えなかった。なので明日に期待である。

ちなみに宿泊はプラハ郊外のホテル。
日本ならジュニアスイートくらいある広さの部屋に大満足である。

2007年04月01日

【ing】優位性は放棄しないでね

明日2日から、ちょいとヨーロッパへ出かけます。
ハプスブルグ帝国の残照を見てきます。

IMG_0009.JPG

旅の供。
いっぱい写真を撮影し、紀行文を執筆する予定。

海外は4年ぶり、ヨーロッパはなんと10年ぶりでござ。

さて、

2週あいてしまいました。
いつの間にやら、勘助は仕官しておりました。

武田家に仕官した理由はなんだったのだろ?

さて、今日は原美濃守との”戦”。
真正面から挑んでは到底勝てない戦いを、
五分五分まで持っていって、勝ってしまった。

逆に原殿は、自分の優位性を自ら放棄した結果、
負けてしまった。

しかし、普通は二度も口車に乗らんだろう(爆)
問答無用、で斬って終わり、もしくは切っ先を
首に突きつけて、降伏をさせるべきだろう。
何といわれようと、優位性は放棄しちゃだめすよね。
まあ、放棄する展開でなければドラマが進まないの
ですが・・・。

今日は簡単に。

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